宮台慎司「日本の難点」
日本の難点 (幻冬舎新書)
第一章 人間関係はどうなるのか コミュニケーション論・メディア論
第二章 教育をどうするのか 若者論、教育論
第三章 「幸福」とは、どういうことなのか 幸福論
第四章 アメリカはどうなっているのか 米国論
第五章 日本はどうなっているのか 日本論
この本の難点は、宮台氏の言葉が難しいことである。
ある程度の社会科学の知識がないと、読んでると多々立ち止まることがあるだろう。
※知識をもっていたとしても、相当立ち止まるだろう。
なにせ、「はじめに」がとくに難しい。「日本戦後思想と郊外論」、「現代政治哲学最前線とアメリカ」、タイトルを聞くだけで難しそうだ。ここをかなり読み返した。
この本の一番のキーワードは,"包摂力のある社会"というところでと思う。
私自身,包摂力のある社会というのも,単純なセーフティーネットの問題ではなく,市民がそれらを利用するにあたり,セーフティーネットにおんぶにだっこではなく,最大限の努力をした上で,最終的にそれがある,という認識をもっていられるような社会だと思う。使ってはいけないといは言わない,でも,すぐに使うな。すぐに使おうとするものがいれば,周りの社会が彼らをそうしないように努力させるようサポートできる,そういう社会になる必要があるんだろうな,と感じる。
以前,給食費を滞納する家庭が高級外車を乗り回しているというモンスターペアレントの話がよく聞かれたが,これも同じ問題だろう。高級外車や携帯電話にお金をつかっても惜しくはないが,義務教育なんだから,給食費は払わないという理論がおかしい(少なくとも私はそう思う)という認識を社会が持たせる必要がある。
ある意味,当たり前が当たり前でなく変化した時代に,当たり前を取り戻すようにすることが一番なんだろう。(※当たり前ってなんだという問題はあるが・・・)
たとえば,醤油が足りないから醤油をかりる,という昭和30年代の風景であるが,これが今の時代だと,借り得に走る人が出てくる。たとえばこの醤油だって共有財と考えれば,完全な共有地の悲劇と同じ現象になっているのが,現在の日本なんだろうと感じることが多い。
市民がどれだけ自分の行動に常識を持てるか,その常識の素養を社会で鍛えることができるか。必要なのはこの事なんだろうな。
「日本の難点」にはこんなことは書いてませんが,是非ご一読あれ。
第一章 人間関係はどうなるのか コミュニケーション論・メディア論
第二章 教育をどうするのか 若者論、教育論
第三章 「幸福」とは、どういうことなのか 幸福論
第四章 アメリカはどうなっているのか 米国論
第五章 日本はどうなっているのか 日本論
この本の難点は、宮台氏の言葉が難しいことである。
ある程度の社会科学の知識がないと、読んでると多々立ち止まることがあるだろう。
※知識をもっていたとしても、相当立ち止まるだろう。
なにせ、「はじめに」がとくに難しい。「日本戦後思想と郊外論」、「現代政治哲学最前線とアメリカ」、タイトルを聞くだけで難しそうだ。ここをかなり読み返した。
この本の一番のキーワードは,"包摂力のある社会"というところでと思う。
私自身,包摂力のある社会というのも,単純なセーフティーネットの問題ではなく,市民がそれらを利用するにあたり,セーフティーネットにおんぶにだっこではなく,最大限の努力をした上で,最終的にそれがある,という認識をもっていられるような社会だと思う。使ってはいけないといは言わない,でも,すぐに使うな。すぐに使おうとするものがいれば,周りの社会が彼らをそうしないように努力させるようサポートできる,そういう社会になる必要があるんだろうな,と感じる。
以前,給食費を滞納する家庭が高級外車を乗り回しているというモンスターペアレントの話がよく聞かれたが,これも同じ問題だろう。高級外車や携帯電話にお金をつかっても惜しくはないが,義務教育なんだから,給食費は払わないという理論がおかしい(少なくとも私はそう思う)という認識を社会が持たせる必要がある。
ある意味,当たり前が当たり前でなく変化した時代に,当たり前を取り戻すようにすることが一番なんだろう。(※当たり前ってなんだという問題はあるが・・・)
たとえば,醤油が足りないから醤油をかりる,という昭和30年代の風景であるが,これが今の時代だと,借り得に走る人が出てくる。たとえばこの醤油だって共有財と考えれば,完全な共有地の悲劇と同じ現象になっているのが,現在の日本なんだろうと感じることが多い。
市民がどれだけ自分の行動に常識を持てるか,その常識の素養を社会で鍛えることができるか。必要なのはこの事なんだろうな。
「日本の難点」にはこんなことは書いてませんが,是非ご一読あれ。
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