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ディコーディング・マクルーハン -「メディアはメッセージ」解読

有馬哲夫「ディコーディング・マクルーハン -「メディアはメッセージ」解読」、早稲田大学大学院社会科学研究科、『社会科学総合研究』、第4巻・第2号、2003年11月、P49-61。

前半ではメディア決定論とコンテンツ決定論について述べられてあり、後半ではマクルーハン自身に関して、どうしてマクルーハンがわかりにくく言うかなどについて述べられています。

中からおもしろい部分をピックアップします。

○コンテンツ決定論とメディア決定論が相容れない理由は唱えている文脈が異なるから
「彼ら(コンテンツ決定論者)がコンテンツ決定論を唱えるのは、メディアの地殻変動のなかで、デジタル放送やブロードバンドという新しい事業を立ち上げ、発展させる際に重要な要素はなにかということだ。マクルーハンのように、そのメディアの利用者の知覚や認知や直感が形成される際に支配的な力をもっているのは何かということは問題にしていない。」

○メディアのバックミラー効果とは
「新しく登場したメディアは、つねに古いメディアをコンテントとして出発する。やがて新しいメディアのコンテントは、新しい形式と表現を獲得し、それ自身にふさわしいコンテンツをもつようになるが、その形式と表現があきらかになり、はっきりと意識されるのは、次のさらに新しいメディアが登場したときなのだ」

○マクルーハンがメディア決定論を唱える理由
「マクルーハンがコンテンツ決定論ではなくメディア決定論をとなえるのは、人間の集まりの形態を作るのもコンテンツではなくメディアだからだ。メディアが人と人とを結ぶものである以上、メディアは集団や社会の形成において決定的役割を演じる。(中略)メディアこそ、集団と社会とを結びつける媒体であり、紐帯なのだ。」

「文化や社会のほうがメディアの役割や機能を決定する部分もある。あるいはメディアとコンテンツが不可分なように、メディアと社会や文化とも切り離せないといえる。だが、それを承知で、コンテンツに目を奪われてメディアの影響を見失いがちな私たちに対して、マクルーハンは敢えてメディア決定論と唯メディア論を展開しているのだ。」

短いのですぐ読めますので、マクルーハンを読む前に一度目を通すとわかりやすいと思います。

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