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社会科学部 夜間講義廃止

2001年冬に大学を目指したときに、社会人としては夜間のある学部を探していました。
会社から交通の便が良かったり、学費の事とか、諸々を考慮すると、母校の社会科学部と第二文学部が選択肢に入ってきました。結局、当時知人が学士編入で社学に入学していた事いう事もあり、社学の門を叩きました。
考えてみるとこれが、今の自分のきっかけなんです。学士編入には落ちて、大学院修士の試験には受かるというちぐはぐな感じで、僕の社会科学研究科との関係が始まったのですが、そこには、社学が昼夜開講制をとっていた事はかなり重要なファクターであったことには違いありません。
ちなみに、社学の学士編入におちてからは、猛勉強で、当時の青学経営学部2部、第二文学部の学士編入にも合格しましたが、この二つの学部はもう存在しないですね。

今日、目にした記事。

早大「社会科学部」で夜間授業廃止、夜間学部なくなる

 早稲田大は14日、来年度から社会科学部の夜間授業を廃止し、昼間学部に移行すると発表した。
 早大はこれまで「第二文学部」「第二理工学部」など五つの夜間学部を廃止しているが、来年度から、一部の学生を除き、夜間だけの受講で卒業できる学部はなくなる。
 社会科学部は1966年、第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部を統合し、夜間学部として開設。98年、昼も講義を行う昼夜開講学部にした後も社会人に配慮し、必修科目を昼夜両方に設けていたが、ここ数年は夜の授業を履修する学生が激減していた。
 早大では49年、勤労学生に学習機会を提供するという目的から、政経、法、商、文、理工に夜間学部を設置。ピーク時の57年には、約1万2000人の学生が夜間学部に在籍した。
 しかし、勤労学生が減少したことから縮小・廃止を進め、07年度には第二文学部と第一文学部を、文学部と文化構想学部に再編した。今後は、文化構想学部に設けられた夜間特別枠の40人のみを対象に夜間講義を行う。
 社会科学部の大西泰博学部長は「夜間の授業は早大のシンボルの一つだったが、これも時代の流れ。もはや役割を終えたのでは」と話している。(2008年5月14日20時59分 読売新聞)


僕に取っては結構ショックな話な訳です。確かに設立当時に比べて大学は一般化(大衆化と言った方がいいのかな)され、勤労学生などが夜に時間を作って勉強するものではなくなったのは、大筋正論だと思われますが、もし、そういった希望を持つ有能な人々に受け皿として存在することに意味はあったのかと思われます。特に早稲田大学として、早稲田を目指すそういった境遇の人たちのために必要なものであると僕は思っています。
ほかの記事では、通信制の大学や、キャリアアップのための大学院が拡充していったという事が書かれていました。確かに専門職大学院は02年ぐらいから花盛りで、政策系、金融系、経営、会計、法律という社会科学分野のキャリアアップのための大学院が乱発しています。それらは夜間や土曜に開講することも多く、社会人はそういった所を目指すことが多くなったということが、大学経営にとって、2部を廃止するインセンティブになっていたというのは間違いないでしょう。専門職系の大学院は学費も高く、同じような教員を並べ、一般的に1部より安い授業料で2部を開講する意味が大学経営の観点から見ても厳しい問題になったのは確かでしょうね。

しかし、どんどん消えていく中で、早稲田がこのような決断をしてしまったのは残念でしょうがないです。元々は早稲田の2部の集合体ででき、独自の発展を遂げ、昼夜開講制になった進歩的な学部が結局、昼間部だけを残す形になったというのは、なんだか牙の抜けたライオンみたいですね。結局、昼間部になりたかっただけじゃん!?といった気持ちになります。

早稲田の中でも社学は一種独特な雰囲気がありますが、昼間部になる事で、他の政経・法・商に落ちた学生の受け皿的色が濃くなるのは、今まで以上に強くなるような気がしてなりません。

僕の身分でどうこう言っても何も変わりませんが、少し気になる記事なので、ちょっと引用してみました。

ちなみに、今の早稲田はどこの学部にいてもだいたいどこの学部の講義でも受けられるので、本当に取りたい教授の講義に出るという目的を持っていれば、どこの学部にいてもいいと思われます。もう、こうなると卒業証書がどこの学部って書かれるかだけの問題ですね。

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