マス・メディアの存在意義
朝日新聞5月4日 杉田敦教授のキャンパスブログより
自分は放送を主軸にマス・メディア研究をしていますが、例えばマス・メディアと表現の自由を考える時に、私は「マス・メディアは、国民に対して民主的政治過程に参加できるように重要な情報を提供する使命があるから」マス・メディアに対して表現の自由を認める必要がある、というように考えます。これらは記者クラブの正当性を考える上においても妥当な考え方になるかと思います。(まあ反対意見もあるかと思いますが…)
さて、そう言うと、マス・メディアにそんなことを期待していないよ。テレビを見ることにそんなことを期待していないよ、という意見も出てくるのが現実ですよね。
報道番組なんて見ないし、見るのはバラエティ番組やスポーツ番組。ニュースなんて見ないし、見ても芸能ネタ。日曜朝の「報道2001」や、BSフジの「プライムニュース」なんてもちろん見たことありません。という意見が大多数なんですよね。
そう言われると困ったものです。
「あなたがメディアの報道に無関心であろうと、メディア報道はあなた方に無関心ではない」というに切り返したとしても、興味があるのは「視聴率か世論調査だろ?」と言われるのが関の山。
では、漠然として、マス・メディアは何を知らせるためにいるのでしょうか、何を伝達すれば良いのでしょうか?
難しい問題です。
やはり私の答えは、国民がメディアを通じ、自分にとって正しいと思われる民主的政治過程に参画できるような情報を提供するためにマス・メディアは存在する。
では、次に大事なことは、マスメディアがきちんとその情報を提供しているか?と言うことが問題になりますね。その辺はまた今度。
政治学を専攻していると、たいていの人々が政治になど関心ないことをつい忘れてしまう。また、政治的無関心は即悪いことであると見なしがちである。無関心を批判する政治学者の台詞は昔から同じで、「あなたが政治に無関心であろうと、政治はあなたに無関心ではない」というものである。いつも政治に関心を示し、監視していないと、とんでもないことをされてしまうと脅すわけである。どんな研究者でも同じような問題にはぶつかるのではないでしょうか?
自分は放送を主軸にマス・メディア研究をしていますが、例えばマス・メディアと表現の自由を考える時に、私は「マス・メディアは、国民に対して民主的政治過程に参加できるように重要な情報を提供する使命があるから」マス・メディアに対して表現の自由を認める必要がある、というように考えます。これらは記者クラブの正当性を考える上においても妥当な考え方になるかと思います。(まあ反対意見もあるかと思いますが…)
さて、そう言うと、マス・メディアにそんなことを期待していないよ。テレビを見ることにそんなことを期待していないよ、という意見も出てくるのが現実ですよね。
報道番組なんて見ないし、見るのはバラエティ番組やスポーツ番組。ニュースなんて見ないし、見ても芸能ネタ。日曜朝の「報道2001」や、BSフジの「プライムニュース」なんてもちろん見たことありません。という意見が大多数なんですよね。
そう言われると困ったものです。
「あなたがメディアの報道に無関心であろうと、メディア報道はあなた方に無関心ではない」というに切り返したとしても、興味があるのは「視聴率か世論調査だろ?」と言われるのが関の山。
では、漠然として、マス・メディアは何を知らせるためにいるのでしょうか、何を伝達すれば良いのでしょうか?
難しい問題です。
やはり私の答えは、国民がメディアを通じ、自分にとって正しいと思われる民主的政治過程に参画できるような情報を提供するためにマス・メディアは存在する。
では、次に大事なことは、マスメディアがきちんとその情報を提供しているか?と言うことが問題になりますね。その辺はまた今度。
コメント
ちょっとフクダさんのお話で理解できないところがあったので質問させてください。
フクダさんは
「マス・メディアは、国民に対して民主的政治過程に参加できるように重要な情報を提供する使命があるから」
と書かれていますが、この「使命」というのはいつどのようにして形成されたのでしょうか。
マスメディア自体は民主的とは言えない政体の国家でも存在しますよね。
それともそういう国(例えば戦前の日本とか)にはマスメディアは存在しないというのがフクダさんの見解なのでしょうか。
突然の質問で申し訳ありませんがよろしければご回答いただければと思います。
よろしくお願いいたします。
さて、せっかくの質問いただいて申し訳ありませんが、基本的にネットの匿名のコメントにはご回答する予定はないので、ごめんなさい。
にしても、素敵な質問ですね。
私がここで検討を述べていたのは、マス・メディアに表現の自由を与える意味を考える上での「マス・メディア」の使命です。
匿名さんの仰られたメディア、戦前の日本やきっとナチスドイツなどもそれにあたるかと思うのですが、そこに於けるマス・メディアに関して、私はそもそも「表現の自由」を与える必要などないと考えます。
※もちろん、国家や政府、軍部と結託して国民世論を操作しているので、一般的に表現の自由を掲げて知りうるすべての情報は彼らから自動的に与えられていると思いますが。
だからその意味で、当時のそれらのメディア(今でも多くの国でそのようなメディアがあるのでしょうが…)に対して、私が地の文で述べた使命があるとも思いません。
ここで述べているマス・メディアとは一般的に民主主義の形態がとられている国家として限定的に考えてもらって結構です。
個人で知るうる情報には限界があります。例えば、民主党の理念には共感しているから、岡田氏や鳩山氏ともっと代表選についての意見を知りたい、という甲県に住むAさんんがいたとしても、彼個人が民主党に申し込んで、わざわざ甲県から出てきたとしても会ってもらえるかどうか分らない。費用も時間も莫大になる。
もし彼の意見を代弁する形態でマス・メディアが「うまく」機能していれば、私が地で述べた「使命」をうまく達成できるのではないだろうか、そいうった意味をこめた文です。
あと、匿名さんの言われている「この「使命」というのはいつどのようにして形成されたのでしょうか。」というご質問は、誰の学説でいつからそのようになったのか?という意見であれば、個人的な考えです。
このようなテーマを考える上では、長谷部先生の「テレビの憲法理論」などをご覧になってもらえれば良いと思います。僕は目から鱗が落ちました。
以上、お答えになりましたか?。
突然の質問に丁寧にお答えいただきありがとうございます。
そもそもマスメディアと表現の自由の関係を考えるという文脈においての発言だったのですね。
私は前半と後半で別々の議論のように受け取ってしまっていました。
少し理解が深まりました。
ただフクダさんはマスメディアの特定の一側面だけを取り上げられているような気がしました。
(もちろんご承知の上でのことだと思いますが)
この議論から表現の自由をとっぱらった場合、フクダさんの問いかけ「漠然として、マス・メディアは何を知らせるためにいるのでしょうか、何を伝達すれば良いのでしょうか?」に対する答えはどのようになるのでしょうか。
こんばんは。
一般的に「マス・メディアは特定少数の送り手が、何らかの情報を不特定多数の受け手に向けて伝達する際に用いる、媒介(medium)手段」と考えられていると思います。
マス・メディア=(コミュニケーション手段としてメディアの機能)× 複数の送り手・受け手が散在 というのが概念的なイメージです。
ですので、匿名さんの問いかけ、
「漠然として、マス・メディアは何を知らせるためにいるのでしょうか、何を伝達すれば良いのでしょうか?」
と聞かれれば、特定少数の送り手が、受け手に対して送りたいことを送れば良いのではないかと思います。
ストレートに言えば、お好きにどうぞ、という姿勢です。
ただ、そのマス・メディアが、放送や新聞、ラジオ、インターネットとそれぞれの段階によって、その伝達(伝送)表現の自由度が制限されるのではないかと考えます。
今回は、杉田敦教授のお話を引用したので、マス・メディアの政治的側面について書いていました。
私自身、何が大事かと聞かれれば、マス・メディアとしての放送には、上記に書いているような政治的な側面が大切と考えます。勿論公平・公正な形態というのが前提であるのですが・・・(そもそも、公正公平など放送の主体である企業にとってあり得ない、という意見もございますので、すごく観念的なものですのであしからず)
また、修士論文では民間放送を調査の対象していましたので、広告媒体として側面も重要と考えます。こういった、経済的側面での研究では中村清先生の論文などをご覧になってください。
匿名さんがどのような事を研究されているのか存じ上げませんが、小生はあまり媒体の中身を研究対象とはしておりません。特にジャーナリズム論とかは全く勉強しておりません。本当は勉強してみたいのですが、こういうのって新聞記者とか経験しないとダメなんだろうな、と思っております。
ですので、ご質問に対して、多分匿名さんが答えに期待されたであろう「これが大切だ!」とご回答する素養は持ち合わせておりません。
長くなりましたが以上です。
突然の質問に丁寧にお答えいただきありがとうございました。
私は学問好きなだけの一般人?であり、何かを研究しているわけではないのですが、早稲田が母校であるのといつかは社会科学研究科に入学したいと考えているのでフクダさんのブログを読ませていただいております。
まったく門外漢ゆえ頓珍漢な質問だったと思いますが、ご容赦ください。
機会がありましたら、フクダさんの挙げてくださった参考文献を読んでまたご質問させていただくかもしれません。
今後も興味深く読ませていただきたいと思います。
早稲田OBということは、きっと大先輩なんでしょうね。早稲田OBの方と、こういった場所で出会えるのも中々素敵なものです。
社会科学研究科の修士課程では、そんな匿名さんのような大先輩と席を並べる事が出来て、大変貴重な経験をすることができました。是非、お時間を作って頂いて、再び早稲田の杜で議論ができると良いですね。
小生は、今回のご質問に対する回答を整理する中で、自分がまだまだ勉強不足なことを痛感いたしましたので、日々精進していくつもりです。
お忙しいとは存じますが、また機会があったら、小生のブログをご覧いただけると幸いです。