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D6論文指導(第8回)

センター試験だった…
研究生の志願票に先生のチェック印をもらうために年明け1回目の大学へ。

現地について、はじめてセンター試験だったって気付きました。

ちょうど20年前に岡山大学でセンター試験を受けていて、あれから20年か…。当時は震災が重なり、なんかめちゃめちゃな受験でした。

大隈先生への挨拶
新幹線は分断されて、東京に出る手段はバスか飛行機。初めて乗る飛行機、新宿のホテルでも道が分からなくなって。。。

学部の入試では、みんな昼休みにはモクモクとタバコをふかしているし、どうみても18そこらには見えないし、正直びびったな〜、と
懐かしい思い出ですね。

とキャンパスを歩いていると、もしかして博士後期課程の学生としてキャンパスに来るのは今日でおしまい?と考えると、少々感慨ぶかくなりました。

14号館
6年前、希望に満ち溢れて通い始めましたが、現実は中々厳しかったですね。

放送史というカテゴリーの資料の少なさ。
フィールドワークやスタティックレポートと違い、博士論文という形に持っていくのはかなり厳しいです。やはり、ローデータが直接取れたりするというのは、理系の研究と一緒で唯一無二のデータなので、第一次資料になりますから。

そんな中でも執筆の方向性は決まっていますが中々時間もとれません。

早稲田大学の空
社会人大学院生はやはり時間の使い方が大切ですね。
家庭との調整事項もたくさんありますね。

授業料できっと150万円ぐらい払ったし、費やした時間も半端ないと思います。投稿論文3本だけでもかなり時間を掛けました。

来年度も研究生としておいてもらえそうなんで、これで最後という事では無いんですが、ちょっとした総括ですね。

次、行けるのはいつだろうな。



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