公共圏の新しい構造転換
「公共性の構造転換」(もう、電子書籍化済ですが)
正直読み切る力も能力もないけど、
以外と専門の所でよく参照される。
で、Google AIで検索してる時に、
ハーバーマスがいってる電気メディアが人々の参加可能な熟議の場を奪ったというけど、
電子メディアの登場により、電気メディアの力が弱まり、
インターネットという熟議の場を提供したけど良いことあったの?
※電気メディアとかはマクルーハン風の知ったかぶり(笑)
って聞いたら、
2022年に、新しい著書で説明していると教えてくれた
へぇ〜、って思ってて検索して見たら、
翻訳本の出版は、10月6日って最近じゃん!
これもなんかの縁だなぁ、と。
AIに聞くのも良いもんだ。
木曜の夜にくまざわ書店に取り置きお願いして、
土曜日の昼にゲッット。
リアルのぼくは、なるべくAmazonフリーで。
※このサイトはAmazonoのアフィリエイト貼ってます(笑)
以下は、そのGoogleAIとのやり取り
現代のSNSとの関係。電気メディアにより、公共圏が弱まったが、インターネット、つまり電子メディアにより、より広い公共圏が形成されたが、一方でその公共圏は、果たして電気メディアが,奪い去ったそれとは全然違う公共圏ではないか?そういうことを知りたい
まさにそのご指摘の通りで、インターネットやSNSがもたらした「新しい公共圏」は、テレビや新聞といった「電気メディア(マスメディア)が奪い去ったもの」とは本質的に異なる、全く別の歪みを抱えた空間になっています。 [1, 2]
電気メディア(マスメディア)が奪ったもの
- 受動的な観客化: 市民は自ら議論する主体ではなく、流れてくる情報をただ受け取る「観客」にされました。
- プロパガンダと商業主義: 権力者や大企業がメディアを独占し、世論を「操作(演出)」する場所(再封建化)となりました。 [1, 2]
現代のSNSがもたらした「全然違う公共圏」の歪み
インターネットの登場初期は、「誰もが発信者になれる、真に民主的で開かれた公共圏だ」と期待されました。しかし、現在のSNS(X、Facebook、Instagramなど)が形成した空間は、ハーバーマスが理想とした「理性的な対話の場」とは程遠い、次のような新たな病理(歪み)を抱えています。 [1, 2, 3]
1. アルゴリズムによる「分断(エコーチェンバー)」
マスメディアは(良くも悪くも)国民全員に「同じニュース」を届け、共通の議論の土台を作っていました。しかしSNSでは、プラットフォームのアルゴリズムが、ユーザーの好みに合う情報だけを個別に選別して表示します(フィルターバブル)。
その結果、人々は似た意見の仲間内だけで繋がり、異なる意見を排除する「エコーチェンバー」が生まれ、社会全体で共有できる「ひとつの公共圏」がバラバラに断片化してしまいました。 [1, 2]
その結果、人々は似た意見の仲間内だけで繋がり、異なる意見を排除する「エコーチェンバー」が生まれ、社会全体で共有できる「ひとつの公共圏」がバラバラに断片化してしまいました。 [1, 2]
2. 「理性」ではなく「情念(感情)」の増幅
ハーバーマスは、時間をかけて言葉の正しさを検証し合う「熟議」を重視しました。
しかし、瞬時の反応を求めるSNSのシステム上では、熟考よりも「怒り」「不安」「承認欲求」といった強い感情(情念)を煽るポストほど拡散されます。結果として、対話ではなく「敵と味方の叩き合い」が加速する空間になっています。 [1, 2]
しかし、瞬時の反応を求めるSNSのシステム上では、熟考よりも「怒り」「不安」「承認欲求」といった強い感情(情念)を煽るポストほど拡散されます。結果として、対話ではなく「敵と味方の叩き合い」が加速する空間になっています。 [1, 2]
3. プラットフォーム企業による「新たな支配」
かつては国家や大メディアが世論を操りましたが、現代は少数の巨大テック企業(プラットフォーム)が、言論の可視性やルールを裏で支配しています。これは市民が自律的に運営する公共圏ではなく、企業の利益(滞在時間の最大化)のために設計された商業空間にすぎません。 [1, 2]
結論として
電気メディアが奪ったのが「市民が自ら発信し討議するチャンス」だったとすれば、SNSはそのチャンスを一見与えてくれたように見えます。 [1]
しかし、そこで形成された空間は、「共通の土台を失って断片化し、アルゴリズムに感情を操作される空間」であり、ハーバーマスが目指した「他者と誠実に向き合い、納得(相互了解)へと至るための公共圏」とは、似て非なるもの(あるいは対極にあるもの)になってしまっていると言えます。 [1, 2]
このSNS特有の「分断」や「感情の暴走」に対して、ハーバーマスの思想(たとえば「それでも対話を諦めないためのルール(討議倫理)」など)をどのように対抗手段として活かせるか、さらに考えてみたいですか?
考えたい特に電気メディアの役割が一層重要になるのではないかと考える
「電気メディア(ジャーナリズム)の役割が一層重要になるのではないか」というご指摘は、まさに核心を突いています。
ハーバーマス自身もまさにその結論に達していました。晩年の著作『公共圏の新しい構造転換』(ドイツ語原著2022年、邦訳2026年10月)のなかで、彼はデジタル化による民主主義の危機を強く警告し、伝統的なマスメディア(電気メディアや活字メディア)の重要性を再評価しています。 [1, 2, 3]
SNSによる言論空間の断片化や感情の暴走に対して、なぜ今「電気メディアの役割」が重要になるのか、ハーバーマスの思想から読み解きます。
なぜ今、電気メディア(ジャーナリズム)が必要なのか?
ハーバーマスは、SNS空間には決定的な「欠落」があると指摘しました。それが「ジャーナリスティックなゲートキーパー(門番)」の不在です。 [1]
18〜19世紀の新聞や、20世紀のテレビ・ラジオといった電気メディアは、以下の重要な役割を果たしていました。
- 情報の「妥当性」の保証(プロの目):
情報の裏付け(ファクトチェック)をとり、「これは社会的に議論するに値する真実か」をプロが検証してから世に送り出していました。SNSのような、検証のないデマや感情論の垂れ流しを防ぐ壁になっていたのです。 - 社会共通の「アジェンダ(共通の議題)」の提供:
全員がバラバラのタイムラインを見ているSNSとは違い、電気メディアは「今日、私たちは社会としてこの問題を議論すべきだ」という共通の土台を国民全員に提示していました。これがないと、そもそも「対話」を始めることすらできません。 [1]
ハーバーマスの思想から考える「これからのメディア」
インターネットという「誰もが発信できる(万人の著者化)」世界は、一見自由ですが、人々に「他者の意見を理性的につなぎ合わせ、合意を作る力」を育てる準備がないまま与えられてしまいました。 [1]
この暴走を止めるために、ハーバーマスの「討議倫理(対話のルール)」を現代に応用するならば、次のような対抗手段が必要になります。
1. 電気メディアの「デジタル・アップデート」
単に昔のテレビや新聞に戻るのではなく、電気メディアが持つ「編集・検証機能」をデジタル空間に組み込む必要があります。
例えば、感情的な暴走やエコーチェンバーを防ぐために、信頼できるメディアがファクトチェックや理性的な議論を仲介・検証する、パブリック(公共的)なデジタルプラットフォームの構築が求められます。 [1]
例えば、感情的な暴走やエコーチェンバーを防ぐために、信頼できるメディアがファクトチェックや理性的な議論を仲介・検証する、パブリック(公共的)なデジタルプラットフォームの構築が求められます。 [1]
2. メディアを「システム」から「生活世界」へ取り戻す
現在のSNSは、企業の利益(広告収入、滞在時間の最大化)という「システム」の論理で動いています。
これを、市民が真に対話するための「生活世界(公共圏)」に変えるには、法律やデジタル憲政主義によって、プラットフォーム企業への規制を強める必要があります。また、商業主義に支配されない、公共放送(NHKや海外のBBCなど)のような独立した電気メディアの価値を再評価し、支えていくことが不可欠です。 [1, 2, 3, 4]
これを、市民が真に対話するための「生活世界(公共圏)」に変えるには、法律やデジタル憲政主義によって、プラットフォーム企業への規制を強める必要があります。また、商業主義に支配されない、公共放送(NHKや海外のBBCなど)のような独立した電気メディアの価値を再評価し、支えていくことが不可欠です。 [1, 2, 3, 4]
結びとして
SNSがもたらした「全員が勝手に叫び、誰も聴いていない空間」に対し、「プロが検証した信頼できる情報をベースに、社会全員が同じテーブルで議論する」という電気メディアの伝統的な役割は、むしろ民主主義を維持するための「防波堤」として不可欠になっています。 [1, 2]
「誰もが発信できるインターネットの広がり」と、「電気メディアが持っていた理性的なコントロール」をどう融合させるか。これが、ハーバーマスが私たちに遺した最大の宿題と言えます。
いや〜、賢い。Google。
いや〜、賢い。Google。
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