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子供たちが本を読むことの意味@内田樹

8月18日内田樹先生のツイートより

今日は高等学校図書館研究大会。「子供たちが本を読むことの意味」についてお話しします。

子供たちはどうして本を読むべきか。それは自分たちの住む世 界とは違う世界があることを知るためです。違う仕方で世界を分節し、違う度量衡で価値を考量し、違う身体で生きている他者と想像的に同期すること。ですか ら子供の読書は本質的に反社会的、反秩序的なものと見なされます。それでいいんです。

ですから、学校図書館というのはそれ自体背理的な存在なのです。子供が反秩序的になるために読む本はたいていの場合そこには置かれないからです。それでいいんです。反秩序的になるために秩序を当てにしちゃだめです。子供のうちから横着はいかんです。

公演後)
読書を「それによって読み手が知識や情報を獲得できる自己利益増大のための行為」と見なすと、学校図書館の存在理由は崩れます。そこを利用する生徒だけが選択的に受益する制度を公費で維持することに「受益者負担」の原則で反対する保護者に反論することができないからです。

「そんなに本が読みたきゃ自分で買え。公費を使うな」という主張 に反論できない。現にいくつかの高校では司書が補充されず、図書館が機能停止し始めてているそうです。教育行政が「教育の受益者は教育を受ける本人である」と考えているなら、いずれ公教育という制度のものが瓦解するでしょう。

教育の受益者は共同体そのものである。子供たちを知性的・情緒的・身体的に成熟させないと社会制度そのものが存立しなくなるという理路がわかっていない「子供たち」が今教育行政を支配しています。彼らを成熟させることが可能なのでしょうか。僕はいささか悲観的です。


最近自分は、図書館の利用率最近高いですね。

小中高の頃はほとんど通っていない。大学時代もほとんど借りていない。

大学院になってからは、図書館がないと勉強にならない生活。

特に大学時代に図書館の使い方をうまく身に付けていなかったと言うことが、自分が伸びなかった原因だなと感じてる。

大学院に入ってからは自己流で図書館の利用の仕方を見付けたような気がする。
大学生には図書館の利用方をきちんと一年時に教えるべきだな。

子供が図書館好きになると嬉しいですが、内田氏か悲観するような、教育行政がどうなるか、ということが不安の要素である。

東大生が画一化されてきて多様性がなくなっていることと同じように、なんか教育というもので大きなゆがみが出てきているのは確かで、それがこの学校図書館というところにも存在してるのですね。

抜本的な改革のアイディアなんて持ち得ていないのですが、自分子供の教育は他人任せじゃ無く、しっかりせんといけないなと考える今日この頃です。

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